フランク・ロイド・ライトの生涯

世界三大建築家の一人に数えられる故フランク・ロイド・ライト。「空間の魔術師」とも称される彼の建築思想はどのように育まれたのでしょうか。

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フランク・ロイド・ライト photo by Phil Roeder

フランク・ロイド・ライトの生涯

  • 生い立ち

  • 第一期黄金時代

  • 不遇の時代

  • 第二期黄金時代

  • タリアセン

  • 代表的建築物

揺籃期

フランク・ロイド・ライトは1867年6月8日、ウィスコンシン州リッチモンドセンターにて、牧師でありピアノ演奏家であった父ウィリアム・キャリー・ライトと、学校教師でウェールズ系の母アンナ・ライト・ジョーンズの息子として生まれました。
幼年時代は、1878年にウィスコンシン州マディソンに落ち着くまでは、父親の教区の異動に伴って、様々な土地を遊牧民のように移り住んでいたといいます。
ライトの父はピアノを巧みに弾きこなしていましたが、彼の影響を受けたライトも、生涯ピアノを離すことなかったそうです。
また、教育熱心だったライトの母アンナは、フランク・ロイド・ライトが生まれる前から彼を建築家に育て上げたいと望み、ドイツの教育家フレーベル考案の「Froebel Gifts」というブロック状の遊具を使って彼の感性を伸ばそうと考えていました。
アンナは、部屋の床に 1m位の碁盤目状の線を引き、その上で木のブロックや厚紙で作られた四角(立方体)や円(球体)、三角(四面体や三角錐)を遊び道具として与えました。積木を天井から吊り下げたり床で組み合わせたりする遊びはライトの感性を育み、ライトは後年、『設計パターンデザインとして、三角形は私にとって最も大切なものであり、四角は完全を表し、円は無限を表している。これらの形態が立体である 三次元になった時に設計イメージが湧いてきて、私の遊び相手にもなってくれる』と語っています。

1885年、ライトの両親は経済的事情から離婚してしまい、家族を支援するために、十八歳のライトはウィスコンシン大学マディソン校土木科で勉強しながら働きはじめました。
しかし、建築家を志していたライトは、1887年に大学を中退して、シカゴに移り住み、アドラー=サリヴァン事務所で生涯の師となるルイス・サリヴァンの指導のもと、6年間経験を積みました。

第一期黄金時代

アドラー=サリヴァン事務所から独立後、最初の仕事がウィンズロー邸でした。その後の建築と比べると保守的ながら、その大きな深い軒・緩勾配の屋根・シンプルな優雅さは近隣の耳目を大いに集めました。
ウィンズロー邸に始まり、ライトの初期の代表作であるハートレー邸やロビー邸にも見られる自然と融合して一体となるように地を這うような低い安定したデザインや、低く抑えられた屋根や幕板・連窓による水平線を強調したデザイン、部屋同士を緩やかに繋ぐ空間の連続性などは、「プレーリースタイル(草原様式)」と呼ばれるようになります。ヨーロッパの建築様式の模倣であり、荘重さや崇高美を重用する権威主義が全盛であった当時のアメリカにおいて、プレイリースタイルの作品によりアメリカの郊外住宅に新しい建築スタイルを打ち出し、一躍建築家としての評価を受けたライトは、その後もラーキンビルやユニティテンプルなど住宅設計以外の分野でも名声を高めていくこととなります。

ウィンズロウ邸
ウィンズロウ邸 公式サイト
ハートレー邸
ハートレー邸 公式サイト
ロビー邸
ロビー邸 公式サイト

不遇の時代

クリエイティブによる疲労と情動的な困憊から、1909年後半、ライトは家族を残し、数年来の恋人であったチェニー夫人と共にヨーロッパの旅に出ました。
ヨーロッパ滞在中、ライトは後に彼の国際的な評価を位置付け、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなど若い建築家に決定的な影響を与えることになる作品集の監修を手がけました。
その後、帰国したもののシカゴ社交界を追い出さたライトは、母親から譲り受けたウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地にタリアセンを建設しました。
タリアセンで設計活動を再開したライトは、シカゴのミッドウェイガーデンという重要な公共建築に続き、東京の帝国ホテルの設計に携わります。

ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエ
ファンズワース邸
ミースの代表作『ファンズワース邸』

1917年、帝国ホテルの総支配人であった林愛作に請われ、来日します。1919年に着工すると、ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで自ら管理したといいます。
例えば、帝国ホテルに使われた「スクラッチタイル」や「テラコッタ」「クリンカータイル」などは当時の日本では殆ど作られておらず、新たに「帝国ホテル煉瓦製作所」(INAX社の前身)を設立したほどでした。
しかしこうした完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こし、経営陣との軋轢を生みました。結果、ライトは帝国ホテルの完成を見ずに日本を離れることとなります。

帝国ホテル
帝国ホテルライト館
明治村
正面玄関は明治村に現存している

一方、助手であった遠藤新の紹介により、ライトは1921年、東京都豊島区西池袋に自由学園校舎(現・自由学園明日館)を設計します。自由学園の創立者である羽仁吉一、もと子夫妻の目指す新しい教育理念に共感したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。

羽仁吉一氏はライトの思い出をこう語っていたといいます。

「ライトさんは『自分は日本に来て二つの型の人々を見た。その一つは全く物の心がわからない人、ソロバン勘定しか分からない人だ。その人たちしか見なかったら、私は日本に来たことを悔いたであろう。しかしまた、私は物の心の分かる人を見た。それで私の心は満足した」と言い、ポロポロ涙を流した。帝国ホテルの建築では、芸術家肌のライトさんと利益本位の資本家との間に、いろいろな衝突があったことを聞いていた私は、深い感動を与えられた」(「婦人之友」1934年4月号)
ライトが日本に残した建築思想は、遠藤新を始め多くの建築家に受け継がれ、日本の近代建築の礎となりました。

その後1934年までの間、ライトの仕事は財政的危機と建築的創造性の両面で成り立っていました。1922年に日本から帰国したライトはタリアセンに戻ると、数多くの設計案を立案しました。それらの多くはプロジェクトの中止という憂き目にあいますが、後の作品の下地となっていきます。

左から遠藤新・ライト・林愛作
左から遠藤新・ライト・林愛作
自由学園明日館
自由学園明日館

また、ライトはタリアセンに建築学校(タリアセンフェロシップ)を設立します。そこでは建築や土木だけでなく、農業や菜園、料理、音楽、芸術、ダンスなど自然環境との調和を学ぶことが出来ました。このタリアセンの建築学校はフランク・ロイド・ライト財団によって今なお運営されており、ライトの有機的思想を受け継ぐ多くの建築家を輩出し続けいています。

第二期黄金時代

1930年代に入ると、ライトは再び輝き始めます。
タリアセンフェロシップとともに、1934年ブロードエーカー・シティー構想を立ち上げました。
ブロードエーカー・シティーには、都市の集中をさけてその機能を田園に融合させ、大地に密着した生活をするという民主主義に対する考え方が表されています。ライトは、ブロードエーカーにおいてアメリカの同時代の最良の思想と最良の社会活動と信じたものに建築と都市の形態を与えようとしていました。
ライトはその後半生、自分の建築を「民主主義のための建築」と呼び、施主と一緒にブロードエーカーシティーを作り続けていたと言えるのかもしれません。
また、1936年にはペンシルバニア州に彼の最大の代表作となる「落水荘」を建築します。片持ち梁によって滝の上に大胆に張り出されたバルコニーが特徴の建物で、自然との完璧な調和を図るというライトの考えを具現化した建築物です。この落水荘の発表により、ライトは長い不遇の時代に終止符を打ち、第二の黄金期を迎えることとなります。

落水荘以降のライトの住宅設計は、第一黄金期の「プレーリースタイル」と区別して「ユーソニアン住宅」と総称されますが、その中でも新しい手法によって造った中産階級向け価格のコンパクトで魅力に満ちた小住宅は「ユーソニアンハウス」と名づけられています。
戦後も精力的に創作活動を続け、1959年4月9日、アリゾナ州フェニックスにて最期を迎えるまでの間、グッゲンハイム美術館やユニテリアン教会といった後世に残る著名な作品を世に問い続けました。

落水荘裏手

フランク・ロイド・ライト財団及びタリアセン

財団の使命

フランク・ロイド・ライト財団は、フランク・ロイド・ライトの業績ならびに有機的建築の思想の継承、教育及びタリアセン、タリアセンウエストをはじめとする建築物の保存にあります。

活動内容

  • タリアセン(ウィスコンシン州、スプリンググリーン)及びタリアセン・ウェスト(アリゾナ州スコッツデール)の2つの歴史的建造物を継続的に運営、維持及び保存しています。
  • アーカイブスはフランク・ロイド・ライトの22,000以上の図面、300,000通以上の文書、作品や美術品などを保存しています。
  • フランク・ロイド・ライト建築学校(1932年設立)では学士号と修士号の学位を取得することができます。
  • フランク・ロイド・ライトの作品の歴史的価値や数多くのデザインに関する著作権ならびに商標権の管理を行っています。
  • 1932年の設立当初からのタリアセンフェローシップメンバーを含む、学生や芸術家の学生寮兼コミュニティとして使われています。

タリアセン

ウィスコンシン州スプリンググリーンのタリアセンとアリゾナ州スコッツデールのタリアセン・ウエストは、フランク・ロイド・ライトの傑作の一つと評価され、米国の歴史的建造物に指定されています。
タリアセン及びタリアセン・ウエストはフランク・ロイド・ライトの自邸兼スタジオ、そして学校のキャンパスとして使われていました。これらの建物はフランク・ロイド・ライトの才能を如実に表しており、そこを訪れることには特別な意味があります。彼の有機的建築の理念を彼自身の作品を通して感じることができます。
それは現在もこれらの建物が設計当初の目的のまま、住居、作業場、教育施設として活用されているからです。現在、タリアセンはフランク・ロイド・ライト建築学校の夏季キャンパスとして、タリアセン・ウエストは冬季キャンパスとして、またアーカイブズの国際本部として彼の作品を保存しています。

タリアセン
タリアセン中庭(1912年夏)
タリアセン冬
1911年-12年冬のタリアセン
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